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時代劇「鬼平犯科帳」長谷川平蔵に学ぶ組織のリーダーとは?

池波正太郎の小説を原作としたテレビドラマ『鬼平犯科帳』は、時代劇ファンの間でも他の時代劇とは一線を引くほどの面白さがあるといいます。

人間臭さと人情深さ、「生まれた時からの悪人などいない」という考えを持ち、改心する者にはそのチャンスを与え、生きることすら悪である者には自らの手で断罪を下す。

被害者の救済を一番と考えた裁きに、悪人からは『鬼の平蔵』と恐れられ、町民達からは『仏の平蔵』を慕われたのです。

二代目・中村吉右衛門が演じた平蔵が最もイメージ通り忠実に再現されていると、25年もの長きに渡って演じられ愛され続けた時代劇が『鬼平犯科帳』です。

鬼平「長谷川平蔵」は放蕩な実在の人物であった

火付盗賊改方の長である「火付盗賊改役 長谷川平蔵」は実在の人物です。

1745年に同じ平蔵を通称としていた父長谷川宣雄と母(不詳・領地の農民の娘ではなかったか?)の長男として生まれ、長谷川宣以(はせがわのぶため)、幼名を銕三郎(てつさぶろう)と言う。

23歳の時に10代将軍徳川家治に御目見して、長谷川家の家督相続人となるが、青年時代は放蕩無頼の遊び人で、酒に博打に女遊びに明け暮れ「本所の銕」と恐れられていたという。

しかし、この頃からすでに銕三郎を慕う者もおり、火付盗賊改役長谷川平蔵になった後にも、その頃に世話になった人達を忘れることはなかった。

父宣雄が火付盗賊改役を経て京都西町奉行の役に付いた1772年、妻と嫡男と共に京都に赴くが、翌年の1773年宣雄が亡くなると、部下である与力や同心たちに「皆さん頑張ってください。私は江戸で英傑になってみせる」と豪語し江戸に戻る。

その年30歳で長谷川家の家督を引き継ぐが、遊郭通いで父の貯めた金も使い果たす。31歳で江戸城西の丸御書院番士を任ぜられたのを最初に順調に出世し、42歳の時に「火付盗賊改役」を任ぜられた。

寛政の改革で人足寄場(刑務所・職業訓練・更生施設)の建設を立案し、石川島人足寄場の設立で大きな功績を挙げているが、予算が不足したにも関わらず増額を認められなかった為、幕府から預かった資金を銭相場に投じて資金を得るという道徳的にも認められない方法で資金を得たのである。

辣腕とも取れるが清廉潔癖を旨とする老中松平定信には嫌われ、折り合いが悪かった為、火付盗賊改役から昇進する事が出来ず、8年もの間火付盗賊改役を勤め、1795年御役御免を申し出て認められた3ヶ月後に50歳で亡くなっている。

50年の生涯で火付盗賊改役を勤めた8年間は、長谷川平蔵が「鬼」として恐れられながらも、部下や庶民達から慕われ「英傑」として生き抜いた愛されるべき「銕」であったのかもしれません。

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「長谷川平蔵」鬼にもなり仏にもなる

テレビドラマ『鬼平犯科帳』は、火付盗賊改方長官「長谷川平蔵」が部下たちと共に江戸の町から重罪である火付け(放火)、盗賊(押込み強盗)、賭博を取り締まるのが仕事でした。

与力や同心の他に平蔵個人に仕える密偵(盗賊の動きを探る)たちを数人持っていましたが、そのほとんどが元盗賊などの犯罪者で、平蔵の裁きや人柄に惚れ込み、その恩に報いる為に生涯平蔵の為に命を投げ出す覚悟で、盗賊の情報や探りを入れる役割を担っていたのです。

平蔵は、過去に犯罪を犯しても悔い改め、平和な江戸の町の為に働いてくれる者達を信頼し、働きに対して感謝し労ったのです。

梶芽衣子が演じた「おまさ」は、元盗人であり同じ盗賊の男と夫婦になる為に江戸を離れる時のことです。おまさの幸せを願いながらも、男は重罪を犯した盗賊です。二度と盗みを働かないように、おまさと静かに暮らせと太刀を振り一刀、男の右腕の腱を切ったのです。

むごい残酷なようでもありますが、平蔵が腕の自由を奪ったことで、おまさの幸を願ったのが二人には十分に伝わり、平蔵に頭を下げて江戸を離れたのでした。

罪人たちから見れば、長谷川平蔵は「鬼の平蔵」と恐れられ、盗賊を一網打尽にするためには、人をだまし博打場に出入りし、浪人や町人に化け手探りを入れる、どんなことをしても盗賊一味を捉える為には情け容赦なく、多少の悪は必要悪であるという態度で立ち向かった「鬼」だったのです。

しかし、人情深く被害者の保護を一番に考え、情け深いところは「本所の銕」の頃から変わらず、世話になった人の事は忘れず、貧しいものには分け与え、温情裁きを見せる「仏の平蔵」でもあったのです。

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組織のリーダーとして「長谷川平蔵」に学ぶ

火付盗賊改役であった長谷川平蔵を“殿”と慕い、従い指示を仰ぐ与力や同心達が、突拍子もない作戦や指示に疑問を抱くことも無く従ったのは、ただ上司だったからではなく、部下である自分達の働きをしっかりと見て評価し、手柄には褒めて感謝し、しくじったり失敗したことは叱るのではなく、現段階の良い点を褒めて次を示唆することで向上させる方法を取っています。

また、大きな成果があった時には、私財で振る舞い分け隔てなく部下を大事にしていたのです。ひよっこの若い同心はかわいがり、遊びも必要だからと女遊びも多めに見て、からかったりしながらも仲間達に愛されるように取り計らっていました。

しかし、すべてが良い点ばかりあるわけでは無く、部下や密偵を上手く使って手柄を上げる平蔵に、南町・北町奉行や寺社奉行、上司や同僚の嫉妬や妬みが激しく、いつかは長官の立場から引き落としてやろうという武士達が障害となって、昇進することが出来なかったといわれています。

世間のルールを曲げてまで罪人を取り締まった平蔵は、火付盗賊改方に火の粉が飛ぶような事があれば、「平蔵一人がその責任を取れば良いこと」と部下たちに「思いきり仕事して来い、責任は自分が取る」という態度を崩しませんでした。

だからこそ、上司である平蔵の為に皆も信頼して付いていくことが出来たのです。

現在に通じる長谷川平蔵の世渡り術

人情味豊かで情け深く、人を使う術を知り、褒めて褒美を与え、叱咤激励して伸ばす、部下の生かし方は、現在の会社組織にも通じるところがあります。

部下の愚痴ややる気のなさに叱ってばかり居たら、双方ともに嫌気がさして、コミュニケーションなどとれません。たまには、酒の場を借りて仕事以外の遊びの話や共通する点を探るのも、部下を生かす手段になるのです。

長谷川平蔵は「本所の銕」と呼ばれていた頃の経験を隠さずひけらかさず、世話になった人達の恩を忘れていないからこそ、庶民の苦しみが分かり、悪党を取り締まることで昔の恩を返していたのでしょう。

「鬼の平蔵」と怖がられても、庶民の暮らしの中に入れば「仏の平蔵」「本所の銕」の視線で世の中を見ることが出来たのです。両面を持ち合わせていた平蔵には、庶民の情報も盗賊の情報も入ってくるので、作戦を立てるのには重宝したことでしょう。

人足寄場を立案したのも、多くの庶民の平温を願ったからではないでしょうか。役人であっても、一庶民の言葉に耳を傾けることで、自分達のやるべき仕事が見えてくるのは、現在の会社組織においても同じことが言えるでしょう。

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